大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

名古屋高等裁判所 平成6年(う)17号 判決 1994年4月26日

主文

本件控訴を棄却する。

理由

本件控訴の趣意は、弁護人藤井成俊、同鈴木典行、同成田龍一が連名で作成した控訴趣意書に、これに対する答弁は、名古屋高等検察庁検察官加藤元章、同寺坂衛が連名で作成した答弁書に、それぞれ記載のとおりであるから、これらを引用する。

第一  控訴趣意中、理由不備、理由齟齬の主張について

所論は、要するに、原判決は、(争点に対する判断)において、前田有一(以下前田という)は、「被告人が右のとおり述べた経歴を聴き取ったメモ書きのほかに新間事務所が作成したプロフィール(<書証番号略>ないしそれに類似したもの、以下プロフィールという)と被告人の著した二冊の本のいずれかを参考に、罫紙に被告人の経歴書原稿を作成して、これを県連職員木村に手渡し、ワープロで浄書させた。これにより作成されたのが、第一の経歴書である。」旨認定し、さらに「前田によるプロフィールの入手方法は不明であるが、右西川原供述の信用性如何に拘らず、前田がプロフィール等を参考に第一の経歴書の草稿を作成したものとみるのが相当である。」旨認定している。しかし、右認定に関し、原判決が挙示する証拠の中には、右事実を認定することのできる証拠はなく、右事実認定は、証拠に基づかない推測によるものであり、かつ、様々な矛盾を内包するものであって、原判決には、以下に項を分けて詳論するとおり、幾多の理由不備、理由齟齬の違法がある、というのである。

そこで、以下、所論に則し、順次検討を加えることにする。

一  「新間事務所が作成したプロフィールを参考に、第一の経歴書が作成された」との認定

1  所論は、要するに、原判決は、「新間事務所が作成したプロフィールを参考に、第一の経歴書が作成された」との認定に関して、その証拠とした原審における証人前田の供述(以下前田証言という)、同人の捜査段階における供述は、その内容が変遷していて信用性に疑問があるのに、「被告人は前田に口頭で経歴を述べた」とする部分については、終始一貫しているとして安易に信用性を認め、他方、同人が終始一貫し供述している「プロフィールを見たことがない」という部分については、これを信用できないとしているのであるが、このように、同一人の供述を、ある部分は信用できるが、他の部分は信用できないというように恣意的に事実認定に用いることは許されず、この点において原判決には理由不備、理由齟齬の違法がある、というのである。

しかしながら、所論が、前田証言によっては、判示犯罪事実を認定するに足りないという趣旨であれば、証言の証明力についての評価の問題であり、事実誤認の問題に帰するものである。また、原判決は、前田証言につき、関係各証拠を総合して検討し、「プロフィールを見たことがない」という部分が信用できないとし、「被告人は前田に口頭で経歴を述べた」部分は信用できるとしているのであるが、このように、同一証人の証言について、信用性が認め難い部分と認められる部分に分けて評価し、事実認定をすることが直ちに恣意的な事実認定であるとはいえず、採証法則上、許容できない理由はないのであって、このことから原判決に理由不備、理由齟齬の違法があるということはできない。論旨は理由がない。

2  また、所論は、新間事務所からプロフィールをファックスで送ったという原審における証人西川原洋子の供述(以下西川原証言という)は、業務日報(<書証番号略>)の記載にも符合し十分な信用性が認められるのに、原判決が、西川原証言について、「信用性を疑わせる事情が少なからず認められるところであって、その内容をそのまま措信することはできない。」として合理的理由もなくこれを排斥し、「プロフィールが平成三年七月三〇日に新間事務所からファックスで県連に送付されたものとは認められない。」としながら、右証言のほかには全く証拠がないのに、前田がプロフィールを参考に第一の経歴書を作成したと認定したのは、証拠に基づくことなく事実認定を行ったものであり、この点において原判決には理由不備、理由齟齬の違法がある、というのである。

しかし、右所論は、西川原証言の評価に関する事柄であり、判決に付すべき理由の不備又は齟齬とは解されないのみならず、原判決が、西川原証言の信用性に疑問を示しながら、関係各証拠を検討した結果に基づき、前田が第一の経歴書を作成するについて、プロフィール等を参考にしたものと認定したことは、証拠に基づく認定として是認することができるのであって、これが理由不備又は齟齬にあたるという論旨は理由がない。

二  「新間事務所が作成したプロフィールを参考に、第一の経歴書が作成された。」との事実認定と「平成三年七月下旬ころ、被告人が自らの経歴を口頭で述べた。」との事実認定の相互矛盾

1  所論は、要するに、原判決は、「第一の経歴書の内容のほとんどがプロフィール等からの転記によってできるとしても、そのことと前田が被告人と会って経歴を聴き取ったこととが矛盾するものではない。」としている。しかし、第一の経歴書は、学歴の記載を除いて、新間事務所が作成したプロフィールと同じ記載であり、これに被告人の学歴についての情報さえ入手できれば、第一の経歴書が完成できるのであって、これを作成するために、わざわざ被告人を呼び出して、逐一口頭で被告人から学歴を含む被告人の全経歴を聞く必要はない。原判決は、前田がいつ、いかなる方法でプロフィールを入手し、そのどの部分を参考にし、どの部分を被告人から口頭で聞いて、第一の経歴書を作成したのかを明示せず、証拠によることなく「プロフィールを参考に第一の経歴書を作成した」と認定したのであり、前田がプロフィールを入手した時期と「被告人が口頭で経歴を述べた」時期との先後関係も明らかにしていない。しかも、プロフィールの入手時期が先後いずれであっても「プロフィールを参考に第一の経歴書を作成した」とする認定と、「被告人が口頭で経歴を述べた」とする認定は相互に矛盾するものであり、原判決には理由齟齬の違法がある。すなわち、「被告人が口頭で経歴を述べる」前に前田がプロフィールを見ているのであれば、あえて学歴部分を除いて全く同じ内容を被告人からわざわざ口頭で繰り返し聞く必要はなく、被告人がすでに口頭で詳しく第一の経歴書の内容を述べているのであれば、更に、ほとんど同一内容のプロフィールを参考にする必要はないからである、というのである。

しかしながら、原判決は、第一の経歴書、プロフィールの各存在、記載内容など関係各証拠を検討して、プロフィール入手の時期、方法が特定できないにしても、前田が第一の経歴書を作成するについては、プロフィールを参考にしていると認定したものであり、右は証拠に基づく認定として是認することができる。また、確かに、第一の経歴書とプロフィールの各記載内容は共通する部分が多いとはいえ、第一の経歴書には、プロフィールに記載のない学歴が記載されており、また、現職として市民劇場未来座理事その他のプロフィールによっては把握できない記載内容を含んでいるのであって、これらの点をも総合すれば、「被告人が前田に口頭で経歴を述べた」ことのほか、前田が「プロフィール等を参考に第一の経歴書を作成した」とする原判決の認定が直ちに矛盾しているものといえないことは明らかである。原判決に理由齟齬の違法があるという論旨は理由がない。

2  また、所論は、原判決は、前田証言につき、「明らかに信用できない部分もあるが、平成三年七月下旬ころ、被告人に県連事務所に来て貰って直接会って口頭で聞いたこと、メモ書きを県連職員に渡してワープロで浄書させたことについては終始一貫している」とし、「したがって、被告人が七月下旬ころ県連事務所で前田に口頭で学歴を述べたという点に関する前田の供述は、十分措信し得るところである。」とする。他方、前田は、プロフィールを見ていないとも終始一貫して供述しているのに、この点については信用できないとして排斥しているのである。前田は、捜査段階では、ことさら当初作成した経歴書が<書証番号略>であると虚偽の事実を述べ、また、平成四年六月上旬ころ、被告人から大川に明治大学中退、入学は紛らわしいから全文削除の申し入れがあったが前田のミスでそのまま掲載されてしまったという虚構の事実をも述べており、同人の民社党愛知県連職員という立場からしても、その供述は信用性に欠ける。しかるに、原判決は、このような前田供述について、被告人の有罪認定に欠かせない部分だけを合理的説明もなく「十分措信できる」として採用し、これを証拠として恣意的に事実認定をしたものであり、その認定には理由不備の違法がある、というのである。

しかし、右所論については、前記一の1において述べたところと同じ理由によって、採用することができない。

3  さらに、所論は、要するに、原判決は「被告人には、右イaないしcのように状況の変化があり、そのいずれの段階においても、口頭での伝達について訂正を申し立てる機会が十分あったにも拘らず、当公判廷に至るまで、この点についてだけは民社党側との虚偽の口裏合わせに義理立てして真実を述べなかったというのは、いかにも信用し難いことである。したがって、この点について虚偽の口裏合わせがあったというのは不自然であり、被告人の口頭での学歴伝達を否定する公判供述は不合理と解するほかはなく、弁護人の主張は認められない」としている。しかし、被告人の捜査段階における、前田に対して口頭で経歴を述べたとする供述は、極めて曖昧で、現実感に乏しく、前田証言とも矛盾する内容を含むものであり、到底信用できないのに、その矛盾を解明しないままそれを措信できるとしながら、他方、「口頭での学歴の伝達」の事実を否定した原審における被告人の供述については、これを信用できないとして一方的に排斥している原判決には、この点でも理由不備の違法がある、というのである。

しかし、所論は、被告人の捜査段階における供述を信用し、原審公判における供述を信用できないとする原審の判断を論難するものであり、事実誤認の主張に帰着し、控訴理由としての判決に付すべき理由の不備に当たるとは解されず、採用の限りではない。

4  所論は、原判決は、「平成四年八月ころ、捜査官による取調べ対策として、<書証番号略>の書面を基に具体的な口裏合わせがなされたことは認められる。」としながら、「<書証番号略>の書面の記載中には客観的事実が多数含まれており、そこに記載されているからといって必ずしも虚偽とは断じ難い。」とし、<書証番号略>の記載内容に触れ、「このような記載から、口頭での伝達が虚偽の口裏合わせの内容であったと即断することはできない。むしろ、右記載を見る限りでは、被告人が学歴を民社党に初めて述べた時期を特定する記載にすぎないと解される。」とし、「結局のところ、口頭での伝達自体は真実であったと判断するほかない。」と結論づけている。しかし、<書証番号略>に記載されている「七月中旬頃、県連で新間さんから前田が口頭で聞き経歴書を作成したと供述した」という内容は、「新間より学歴削除の申し入れがあった」という事実の前提として不可欠なものであり、この両方とも、口裏合わせをして述べることにした「虚偽」の内容と見られるのである。このように犯罪事実の核心部分で、かつ、「虚偽」である疑いが極めて強い事柄について、合理的な理由もなく、「結局のところ、口頭での伝達自体は真実であった」とする原判決の認定は、理由不備の違法がある、というのである。

しかし、原判決は、<書証番号略>には口裏合わせの対象となったこと以外の事項の記載も含まれており、平成三年七月下旬ころ、被告人が口頭で前田に第一の経歴書の内容を伝達した事実自体は真実であり、これが虚偽の口裏合わせの対象となったものではないことについて、詳細に理由を述べ認定説示しているのであって、この点について、原判決に理由不備の違法はない。論旨は理由がない。

三  「被告人による経歴の関与の可能性」についての事実認定

所論は、要するに、原判決は、その五八頁以下において、被告人が経歴書の作成に関与した可能性を示す事項として(1)ないし(3)を掲げ、「右(1)ないし(3)のうち、(1)ア以外は、判示第一の事実と直接関係はないが、これらの事情は、被告人による学歴の口頭伝達と確認の事実を推認させる一要素にはなり得るものであり、また、経歴公表への関与を一切否定する被告人の公判供述の信用性を減殺するに十分な事情であると認められる。」としている。しかし、右(1)ないし(3)につき、具体的に、被告人がいつ・どこで・どのように経歴書の作成に関わったかの認定は全くなされていない。また、「経歴書の作成に関与」することが、なぜ「被告人による学歴の口頭伝達と確認の事実を推認させる一要素になりうる」のかについて全く検討がなされていない。更に、被告人は、原審において「平成四年一月か二月頃、経歴について聞かれた記憶があり、小学校の話・家族構成・趣味・座右の銘などについて話した」旨供述しているのに、原判決が、「経歴公表への関与を一切否定する被告人の公判供述」と表現しているのは、事実に反し証拠に基づかない認定というべきものである。これらの諸点において、原判決には、理由不備の違法がある、というのである。

しかし、右所論は、原判決の右のような各間接事実による犯罪事実の推認が正当ではなく事実の誤認であること、同様に間接事実により被告人の公判供述の信用性を減殺することが不当であることを主張するものであり、主張自体、控訴理由としての判決に付すべき理由の不備の主張に当たらないものというべきである。

のみならず、原判決及び記録を検討すると、原判決が、右(1)ないし(3)の事項を列挙し、これらの事項が、被告人による学歴の口頭伝達と確認の事実を推認させる一要素になり得るものとし、経歴公表への関与を否定する被告人の公判供述の信用性を減殺するための事情となるものと判断しているのは、関係各証拠に照らし相当であり、合理的に首肯できるのであって、この点につき原判決に理由不備の違法があるという所論は採用の限りではない。

四  業務日報(<書証番号略>)の記載内容についての恣意的な認定

所論は、要するに、業務日報(<書証番号略>)の被告人に有利な記載である平成三年七月三〇日の「あゆみ プロフィール(党)送FAXすみ」、同年八月三日の「労働協会 正しい名 明治大 OB 日付 校友会名簿 S30年政」の各記載については、「西川原本人が後に書き加えたものである疑いを完全に払拭することができない」などとして、その記載内容を真実でないとし、他方、同じ業務日報の被告人に不利益な記載である同年八月一九日の「24日(土)県連打合」、同年九月三日の「略歴書を書くこと」の各記載については真実であるとして、被告人に不利益な認定をしているが、このように同一の証拠について、合理的な理由も示さず、恣意的に、その一部を真実でないとし、一部を真実の記述であるとしたりすることは許されず、理由齟齬の違法がある、というのである。

しかし、原判決及び記録を調査して検討すると、原判決は、右業務日報の記載の一部である平成三年七月三〇日および同年八月三日の各記載につき、所論指摘のとおりその信用性に疑問があるとし、その根拠として各記載の書体、記載位置などのほか、西川原証言の不自然、不合理な点をも列挙しており、他方、同年八月一九日および同年九月三日の各記載については、そのような疑問がないものとして事実認定の証拠としているのである。このように同一証拠について、根拠を示し証拠価値を認め難い部分を特定して、部分的に事実認定に用いることが直ちに恣意的事実認定であるとはいえず、採証法則上許容できない理由もないのであって、原判決に理由齟齬の違法があるとの所論は理由がない。

以上のとおりであって、原判決に理由不備、理由齟齬の違法があるとの論旨はいずれも理由がない。

第二  控訴趣意中、事実誤認の主張について

所論は、要するに、被告人を有罪とした原判決の(犯罪事実)、(争点に対する判断)における事実認定には、後記のとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな多くの事実誤認がある、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果をも加えて検討すると、原判決が犯罪事実として認定した各事実は、原判決の掲げる各証拠によって優にこれを認めることができるのであり、原判決に所論のような事実誤認は認められない。

以下、所論が掲げる主要な問題点について順次考察する。

一  被告人の明治大学入学の有無

所論は、要するに、原判決は、明治大学の学生原簿等に被告人の氏名の掲載がなく、同大学から被告人が入学者として扱われた事実はなく、昭和二八年ころの同大学には、入学試験を受験せずに入学できる有力者推薦入学制度は存在しなかったのであり、被告人の同大学入学の事実はなかった旨認定している。しかしながら、原審における被告人や証人新間寿の供述などの各証拠によれば、被告人は、昭和二八年三月に河野一郎事務所を通じて有力者推薦入学制度により明治大学に入学手続をしたことが認められ、当時の同大学には、入学試験を受験せずに入学できる有力者推薦入学制度があったものと推認される。これに加え、被告人は、明治大学校友会愛知県支部会員として名簿に登載され、長年同校友会員及び明治大学OBとして扱われ活動してきたものであり、被告人が同大学に入学した事実は明らかというべきである。従って、被告人の同大学入学を否定する原判決の右認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

そこで、関係各証拠を検討すると、以下の事実が認められる。

1  明治大学総務部文書課長である津島金治は、平成四年七月下旬ころ新聞社から問合わせを受け、同大学政経学部事務長と共に、同大学において全ての入学者(中退者や除籍者も含む)の氏名が記載されている学生原簿、学生索引簿、成績原簿を調査したところ、昭和二八年の政経学部一、二部を含む同大学の全学部、その前後の年の政経学部一、二部について、いずれの簿冊にも被告人の氏名は登載されていなかったこと

2  同大学には、昭和二八年当時入学試験を受験し、その成績が正規の合格、補欠合格の線に達しない者について、特別の事由があり入学審議会で決定した者について推薦入学を認める制度は存在したが、その場合も、入学試験を受けることが前提要件となっていたところ、被告人は入学試験を全く受けていないこと

3  被告人は、同大学の入学出願に必要な高校の調査書を提出したことがなく、入学手続に必要な高校卒業証明書、戸籍抄本などの提出、入学金の納付等を行った形跡も認められないこと(被告人は、原審公判において、父や河野一郎事務所が全部手続をしてくれたと思う旨供述するが、これらのうちには入学者自身が行う必要のあるものも含まれており、右供述は信用できない。)

4  被告人は、昭和二八年三月初めに愛知県立蒲郡高等学校を卒業したが、遅くとも同月中旬には、進学等の道を選ばず、同年四月からNHK名古屋放送劇団の研究生となる進路を決めていたこと、

右に認定した各事実によると、被告人は、昭和二八年三月高等学校を卒業後、明治大学に入学することなく、他の進路を選んでいることが明らかというべきである。

右認定に関し、所論は、①原審証人津島金治の、被告人が明治大学の学生原簿等に掲載されていないとし、有力者推薦入学であっても受験することが前提であるとする供述は、他人からの伝聞に基づくものや、同証人の個人的見解にすぎないものであり、信用性は認められない。②被告人は、入学試験を受験せずに入学できる「有力者推薦入学」制度で入学し、河野一郎事務所がその入学手続をしてくれたものである。③被告人は、明治大学校友会愛知県支部会員として名簿に登載され、二〇年近くも同校友会員及び明治大学OBとして扱われ活動してきたものであり、被告人が同大学に入学したのは明らかである、という。

しかしながら、記録を調査して検討すると、①については、原審証人津島金治の証言は、職務上自ら調査した結果に基づくものであり、また、ことさら真実に反して被告人に不利益な供述をしなければならない特段の理由も認められず、その信用性に疑問を抱くべき理由はない。また、②については、原審公判において被告人はこれに添う供述をしているが、被告人は、捜査段階での一年近くにわたる多数回の取調べにおいて、一度も明治大学に入学したとは供述しておらず、いわゆる有力者推薦入学制度のことにも言及していなかったのであって、原審公判における被告人の右推薦入学によって入学した旨の供述は、供述内容自体が不自然であるばかりか、捜査段階での被告人の供述、前記認定の各事実に照らしても、全く信用することができない。原審における証人新間寿、新間つや子の各証言、<書証番号略>のはがきの存在などを被告人の公判供述と共に考慮しても、被告人が有力者推薦入学制度によって明治大学に入学したものとは認めることができない。③については、被告人は、昭和四七年ころから、ラジオ番組の司会者として、同大学出身者が多かった中日ドラゴンズの選手たちと交遊が始まったが、同大学出身者の一人に話を合わせるため軽い気持ちで「私も明治を受けました」などと事実に反する嘘を言ってしまい、そのことがきっかけで、同球団の選手らから「新間は明治の先輩だ」と言われるようになったこと、やがて明治大学校友会愛知県支部にゲストとして呼ばれるようになり、昭和五二年ころ同支部に入会し、明治大学中退と称して校友会活動にも参加したりし、その後校友会名簿にも、被告人の氏名が、「卒年 学部」の欄を「昭和三〇年 政」として登載されるようになったこと、このようにして被告人は昭和四七年ころから約二〇年にわたり校友会活動以外においても、自分の学歴として明治大学中退と言い続けてきたこと、しかし、右校友会名簿登載について、明治大学自体は何ら関知していないこと、以上の事実が認められるのであって、右校友会活動などによっても被告人が同大学に入学したものと推認できないことは自明というべきである。以上のとおりであって、右所論はいずれも理由がない。

なお、所論は、さらに、原判決が、昭和二八年三月中に入学辞退の手続を取った筈であるとの推認をしているのは、証拠に基づかない判断であり、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であるという。しかし、原判決の右推認は、被告人の父が有力者推薦の便宜を計ってもらうべく行動していたと仮定した場合のことであって、右のような仮定的事実は証拠上認定することができないのであるから、原判決の右推認は無用の判断であり、それが判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認とはいえず、論旨は理由がない。

二  学歴が虚偽であることの認識

所論は、要するに、原判決は、被告人は、平成三年当時、明治大学に入学または中退という自己の学歴が虚偽であることを十分に認識していたものと認定している。しかし、被告人は、河野一郎事務所による有力者推薦入学手続により、明治大学政経学部二部に入学したものと信じ、その後、NHK放送劇団研究生の試験に合格したため、大学通学はできなくなったが、明治大学校友会に入会が認められ会員として名簿に登載され長年活動してきたことなどから、平成三年当時、明治大学に入学したうえ中退したということを認識していたものであり、それが虚偽であるとの認識がなかったのであるから、原判決の右認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認であり、理由不備、理由齟齬にも当たる、というのである。

そこで、記録を調査し検討すると、前記第二の一で認定したとおり、被告人は、昭和二八年三月高等学校を卒業後、明治大学に入学することなく、他の進路を選んでいる以上、その後において右入学を誤信すべき特段の事情がない限り、被告人が明治大学に入学または中退という自己の自称していた学歴が虚偽であることを十分に認識していたものというべきである。被告人自身が虚偽の事実を述べたことから、明治大学の校友会に入会が認められ会員として名簿に登載され、自ら明治大学中退と吹聴して長年活動してきたからといって、これが右虚偽の認識を欠く特段の事情とならないことは、前記第二の一の所論③に対する判断からも明らかであって、他に被告人が平成三年当時、明治大学に入学または中退という自己の学歴が虚偽であることを認識していたと認定するにつき、支障となる特段の事情は認めることができない。被告人の捜査段階における、約二〇年間も明治大学校友として振るまい、著書でも明治大学中退と書いてきたので、今さら訂正できず、まさか自分の学歴を確認されるとも思わず、今回の選挙に関し明治大学中退という事実に反する学歴を述べてしまった旨の供述は、極めて自然なものであり、十分信用することができ、これに反する原審、当審公判における被告人の供述は到底信用できない。

原判決が、被告人は、平成三年当時、明治大学に入学または中退という自己の学歴が虚偽であることを十分に認識していたものと認定していることに事実の誤認はなく、理由不備、理由齟齬も認められず、論旨は理由がない。

三  学歴公表についての被告人の関与及び認識

所論は、要するに、原判決は、(犯罪事実)第一において、被告人は、平成三年七月下旬、民社党県連職員前田に対して、自己の学歴について、本件選挙のための経歴書や選挙公報等の内容となって公表されるとの認識を有しながら、明治大学に入学した事実がないのに、昭和二八年四月に明治大学に入学し、昭和三〇年に同大学を中退した旨虚偽の事実を述べたこと、平成三年八月下旬ころ、前田から、虚偽の学歴が記載されている「経歴書」と題する書面を見せられ、その内容の確認を求められた際、これが虚偽であることの認識を有しながら、虚偽の学歴について何ら訂正の申立をせず、これを是認したこと、同月三一日、情を知らない前田をして、同人が被告人の前記虚言に基づいて作成した「昭和三〇年明治大学中退」との虚偽の学歴の記載されている「経歴書」と題する文書を報道関係者に配布させたこと、平成四年七月八日、情を知らない前記前田をして、同人が被告人の虚言に基づいて作成した「昭和二八年明治大学(政経学部)入学」と虚偽の学歴が記載されている選挙公報の掲載文を愛知県選挙管理委員会に提出させたことの各事実を認定しているが、これらのいずれについても被告人は虚偽の学歴公表に関与したことはなく、原判決の右各認定には、後記の一ないし四で詳細に指摘するとおり、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認がある、というのである。

所論にかんがみ、記録を調査し、当審における事実取調べの結果を加えて検討すると、先ず、被告人の学歴公表に関し、関係各証拠によれば以下のような各事実を認めることができる。

1  被告人は、これまで地方選挙、国政選挙について何人かの候補者の応援弁士をしたことがあり、政治家になりたいと考えたこともあって、選挙には関心を持っていた。

2  平成四年七月八日公示、同月二六日施行の第一六回参議院議員通常選挙(以下本件選挙という)は、愛知県全域が選挙区であることから、民社党愛知県連合会(以下県連という)が組織をあげてこれを主導し、候補者の擁立、選挙運動、立候補手続など一切を取り仕切って対処したものであり、県連委員長塚本三郎(以下塚本という)、書記長大川信吾(以下大川という)、同職員の前田らが主にこれに関与し、特に、前田は、大川の指揮下で、公認手続、選挙運動の日程策定、選挙用各種文書の作成、報道機関への対応、立候補手続、選挙公報掲載文の原稿作成、同掲載申請、選挙管理委員会への届出書作成、提出等選挙事務の全般的実務責任者となり、平成三年九月ころ正式に被告人を候補者とする総合選挙対策本部が組織される前後を通じて、右事務に従事していた。右前田は、これまでにも何回かの各種選挙において、同種事務に従事していた経験があり、これに精通していた。

3  被告人は、平成三年七月中旬ころ右塚本から本件選挙に民社党公認候補として立候補するよう求められていたが、同月二〇日すぎころ立候補を決意し、これを承諾する旨塚本に伝えた。塚本からそのことを聞いた大川は、県連の他の幹部とも協議のうえ、被告人の擁立が事実上内定したとして、そのころ前田に対し、擁立決定のための県連執行委員会において討議資料等に使用する被告人の経歴書の作成を指示した。

4  そこで、前田は、同月下旬ころ、党内の候補者決定手続や選挙用の各種文書に用いる被告人の経歴書を作成するため、被告人に電話をし、そのことを告げて原判示の県連事務所まで来てもらった。同所において、前田は、被告人に、選挙用パンフレット等に用いるため経歴書が必要なので経歴を言ってくださいと求めたところ、被告人は、メモのようなものを見ながら、「昭和二八年三月二日愛知県立蒲郡高等学校卒業、同年四月明治大学入学、昭和三〇年同大学中退後、NHK放送劇団に入団」という学歴を含む自分の経歴、趣味などを述べた。その際、被告人は、前田の説明及び選挙についてのこれまでの知識、経験から、この学歴等の経歴が文書化され、今後の選挙活動などを通じ公表されたり、選挙の公示後に選挙管理委員会から各家庭に配布される選挙公報に掲載されるなどすることも理解していた。前田は、被告人の述べることを聞き取りメモ書きしたほか、原判示の新間事務所で作成されていた被告人のプロフィール、被告人の二冊の著書などをも参照して、被告人の経歴書の原稿を作成し、これを県連職員の木村光秀(以下木村という)に渡してワープロでの浄書を依頼した。木村はこれに基づき被告人の経歴書(<書証番号略>中に綴じられているもののうち、[討議資料]との記載のないもの、以下第一の経歴書という)を作成した。

5  平成三年八月六日の県連執行委員会において、右第一の経歴書が資料として配布され検討された結果、県連として、被告人を本件選挙の民社党候補として擁立することが正式に決定され、同時に被告人は県連副委員長に選出された。

6  その後、前田は、大川から、民社党本部に対する公認申請、立候補表明の記者会見、選挙用のパンフレット等に用いる正式の経歴書を作成し印刷するために、被告人に再度経歴を確認するよう指示されたので、同年八月下旬ころ、被告人を県連事務所に呼び出したうえ、大川から指示された内容を話した。被告人は、前田から手渡された第一の経歴書に目を通してその内容を確認し、第一の経歴書に書かれたことのほか、昭和六〇年前後に県の労働協会の依頼講師として、労働組合関係で講演をしたことがある旨述べた。前田は、そのことは選挙に有利な材料になると判断して、経歴書に書き加えることにしたが、被告人は、その際、明治大学中退という学歴について何等訂正の申し立てをしなかった。その後、前田は、県の労働協会に電話をして、被告人が労働協会の依頼講師になったことがあるか否かを問合わせ、その事実があることを確認した。そこで前田は、第一の経歴書の昭和60年の欄の記載を従来の記載から労働協会の依頼講師としての活動に変更し、現職欄の記載に民社党県連副委員長を加えるなどの加除訂正をしたものをワープロで浄書させるため木村に渡し、木村はこれに基づき新たな経歴書(<書証番号略>中に添付されているもの、以下第二の経歴書という)を作成した。

7  同月二六日、県連から民社党本部に対し、第二の経歴書を添えて、被告人を本件選挙の同党公認候補とすることを求める公認申請書が送付された。また、そのころ、第二の経歴書の印刷が印刷会社に発注され、そのゲラ刷りの校正を経て印刷された経歴書(<書証番号略>、以下第三の経歴書という)が九月初めころ作成された。

8  被告人は、前田の立てた日程や同人の指示に従い、その後の選挙活動に従事し、前田は、被告人の選挙演説や記者会見にも同行し、報道機関との対応や選挙活動に必要な準備、立候補の届け出、立候補に伴う被告人名義の申請書類等の作成、申請手続等一切の事務を行っていたが、届け出に被告人の押印が必要な書類については、個別に被告人の了解を得ることもなく、有合せ印を用いて、これを作成していた。

9  同年八月三一日、名古屋弥生会館において、被告人及び県連の役職員らが出席し、被告人が本件選挙に候補者として出馬を表明する記者会見が行われた。その際、前田は、用意していた被告人の経歴書(第三の経歴書のゲラ刷りのコピー)を出席した多数の報道関係者に手渡したり、記者席のパイプ椅子の上に置くなどの方法で配布した。被告人及び県連役職員らの席の長机の上にも右経歴書が置かれ、被告人は、その場でこれに目を通したが、学歴のことも含め自分が前田に述べたと同じ内容が記載されていることが分かった。

10  前田は、前記第二または第三の経歴書に基づき作成した被告人の学歴等の記載がある選挙用の各種パンフレット、ビラ、名刺などを印刷配布して使用した。また、同年一〇月ころ、各報道機関から被告人の明治大学の入学学部などの照会があり、これに回答するため、新間事務所に電話で聞き、政経学部であると確認し、その旨報道機関に回答した。前田は、平成四年二、三月ころから、選挙用パンフレットその他の文書に、それまで用いていた「昭和三〇年明治大学中退」という表現に代えて、「昭和二八年四月明治大学入学」あるいは「昭和二八年四月明治大学政経学部入学」との表現を用いることにしたが、このことは被告人も了知していた。

11  平成四年六月下旬ころ、前田は、大川からの指示により、被告人の本件選挙立候補に伴い選挙公報掲載申請をするため、所定の選挙公報掲載文原稿用紙を用い、被告人の略歴として、「昭和二八年四月明治大学政経学部入学」との記載が含まれている原稿を作成した。

12  平成四年七月八日、本件選挙が公示され、前田は、被告人の立候補届け出をし、愛知県選挙管理委員会に、被告人作成名義で前記有合せ印を押捺して作成した同日付け選挙公報掲載申請書に前記原稿を添付して選挙公報掲載申請をし、受理された。同選挙管理委員会係員は、公職選挙法の規定に基づき、右選挙公報掲載文原稿の原文のまま選挙公報に掲載し、同月中旬ころ、選挙区内の選挙人の世帯に所定の方法で配布した。

以上の各事実が明らかに認められる。右認定に反する被告人の原審、当審における各供述は、前田、被告人の捜査段階における各供述を含む原判決挙示の各証拠に照らし信用することができない。

以下、右認定事実を基礎とし、所論の指摘する諸点を項目により整理しながら、順次検討を加えることにする。

(一) 前田に対する学歴伝達

所論は、要するに、原判決は、(争点に対する判断)において、平成三年七月下旬ころ、前田は、県連執行委員会の党議資料等に使用する被告人の経歴書作成のため、被告人を県連事務所に呼び出し、被告人は、同所で前田に対し、口頭で「昭和二八年三月二日蒲郡高校卒業、同年四月明治大学入学、昭和三〇年明治大学中退後、NHK放送劇団に入団」という内容の学歴を述べ、前田がこれに基づいて第一の経歴書を県連職員にワープロで作成させたこと、被告人は、右経歴の聴取が同人の経歴書作成のためであり、その内容がその後選挙公報その他選挙に用いられる各種文書の基となる重要なものであることを認識していたと認定している。しかし、右認定は前田の原審及び捜査段階における供述を唯一の証拠とするものであるが、右前田の供述は全く信用できない。すなわち、前田は、新間事務所から送られたプロフィールや同事務所の職員西川原洋子(以下西川原という)に対する電話での問合わせによって、被告人の学歴等を知り、これに基づき第一の経歴書を作成させたものであり、被告人から口頭で学歴等を聞いたことはない。従って、原判決の右認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、前記認定の各事実を総合すると、原判決が認定したとおり、被告人が、同人の経歴書作成のための経歴聴取でありその内容が今後選挙公報等として公表されることを認識しながら、明治大学に入学した事実がないのに、昭和二八年四月に同大学に入学し、同三〇年に同大学を中退した旨、前田に口頭で述べた事実を十分に認定することができる。

所論は、前田の原審及び捜査段階における供述は、民社党関係者との口裏合わせに基づくものであり、かつ、変遷を重ねていることから到底信用できないという。

確かに、同人の捜査段階における供述の一部に、民社党関係者との口裏合わせに基づく部分があり、かつ、同人の供述が捜査段階において、あるいは捜査段階と公判段階で供述の異なる部分があることが認められる。右捜査段階における口裏合わせや供述の変遷の事情は次のとおりである。すなわち、平成四年七月二六日に本件選挙の投票が行われ、被告人が当選となった後の同月二九日、毎日新聞に、被告人について「明大入学の事実なし」「選挙公報に記載」という見出しによる学歴詐称の記事が出たので、同日、被告人や民社党関係者が集合し被告人に確認したが、被告人は、「明治大学を受験はしたが、合否の確認は父がしたので自分は確認していない」など同大学に入学していない趣旨のことを述べた。そこで、急遽、被告人や前田を含む民社党関係者が協議した結果、民社党所属の参議院議員としての被告人の議席を守るため、今後捜査官から取調べを受けたときは、「平成四年六月ころ、被告人から、大川に学歴を削除してほしいとの申入れがあり、大川から明治大学中退、入学はまぎらわしいから全文削除するようにと事務方に指示があったが、事務方のミスで削除しなかった」という虚偽の事実を述べて被告人に責任が及ばないように対処するという口裏合わせをした。そして、その後、前田、大川らは、捜査官の取調べを受けた際右口裏合わせのとおり供述し、同年八月上旬ころ取調べの状況などにつきメモ書き(<書証番号略>)を作成して被告人に知らせ、被告人も同年九月一〇日から取調べを受けて右口裏合わせに基づく供述をした。しかし、平成五年六月になってからの取調べにおいて、明治大学に入学はおろか受験さえしなかったことを検察官に自白し、さらに、同年七月には、右口裏合わせについても自供し、実際は学歴削除の申入れをしていないと述べた。被告人の右のような各供述を知った前田、大川らは、これ以上虚偽の事実を述べて被告人を庇うことはできないと判断し、同年七月下旬の取調べにおいて、前記口裏合わせの事実を検察官に供述した。学歴削除の申入れについて前田の供述に変遷があるのは以上のような事情によるものである。また、前田が、捜査段階においては、口頭で学歴を聞いて最初に作成した経歴書が前記第二の経歴書であると供述していたのが、公判段階で第一の経歴書であるとの供述に変っているのは、第一の経歴書は、県連の極秘扱いの総合選対資料のファイル(<書証番号略>)中に綴られており、捜査段階では提出されておらず存在が確認されていなかったところ、原審公判開始後、検察官から求められてようやく提出されたことによって、その存在が明らかになったという事情によるものである。しかし、以上のような口裏合わせや供述の変遷にかかわらず、被告人から口頭で学歴等を聞いたとする前田の供述は、捜査段階から公判に至るまで終始一貫しているのであって、他の関係各証拠とも符合し十分信用することができるものと言うべきである。なお、前記のメモ書き(<書証番号略>)中に、「7月中旬ころ県連で新間さんから前田が口頭で聞き経歴書を作成したと供述した。」との記載があるが、右メモ書きには、口裏合わせに基づく供述内容ばかりでなく、前田らが真実を供述したと認められる記載も多く含まれているのであって、右のメモ書きの記載の全てについて口裏合わせがあったものということはできず、これに反する所論は理由がない。

また、所論は、前田の証言や捜査段階の供述には、証拠に反し、ことさらプロフィールを見たことがないと断言し、経歴書をワープロで作成した者が女子職員であると言ったり、木村であると言ったりし、被告人がメモを見ながら経歴を述べた旨公判になって初めて供述するなどの部分があり、到底信用できないという。確かに、前田の証言や捜査段階における供述には、所論指摘のような部分があり、その証言や供述のすべてをそのまま信用することはできないが、被告人が見ていたというメモがプロフィール(あるいはそれを半分に折ったもの)ではなかったかとも考えられ(被告人も、原審一一回公判で、手元にあった古いプロフィールを持って県連事務所に赴いた旨述べている。)、そのメモのことについてよく記憶せず、また、職員が交替したことを失念したりすることは、いずれも記憶の減耗等に伴い通常あり得るものであり、これらによっても、被告人が平成三年七月下旬ころ虚偽の学歴を前田に口頭で述べたという証言までが信用できないとは決して考えられない。

さらに、所論は、原判決の前記認定は前田の原審及び捜査段階における供述を唯一の証拠としているというが、原判決は、右前田の各供述に加え、木村の証言、被告人の捜査段階における供述、<書証番号略>その他多くの関係各証拠によってこれを認定しているものであって、特に、被告人は、約一年間にわたる警察官及び検察官からの多数回に及ぶ取調べにおいて、終始一貫して、平成三年七月下旬ころ、県連事務所で前田に口頭で昭和三〇年明治大学中退など虚偽の学歴を述べたと供述しており、右供述部分は前田の供述とも合致し十分信用することができるのである。

また、所論は、前田は、新間事務所から送られたプロフィールや同事務所の西川原に対する電話による問合わせによって被告人の学歴等を知り、これに基づき第一の経歴書を作成させたとするのであるが、第一の経歴書には、プロフィールに全く記載のない「昭和二八年三月二日愛知県立蒲郡高等学校卒業、昭和三〇年明治大学中退後、NHK放送劇団に入団」という記載や「市民劇場未来座理事・中日ドラゴンズ私設応援団連合会長」等の記載があり、かつ、西川原は被告人の高校卒業年度さえ知らなかったと証言しているのであるから、プロフィールや同女に対する電話による問合わせだけでは、第一の経歴書を作成することは不可能であり、西川原の証言やプロフィールの存在を十分考慮しても、被告人の口頭による学歴伝達を否定する所論は採用することができない。もっとも、関係証拠によると被告人が蒲郡高等学校を卒業したのは昭和二八年三月二日ではなく、同月一日であることが認められるのであるが、いずれにしても、高校卒業の年月日まで述べることができるのが被告人以外に考えられないことには変わりがなく、右結論を左右するものではない。

また、所論は、平成三年七月二四日、被告人が県連職員から電話でプロフィールを持ってくるようにと言われ、県連事務所に届け、同月二八日名古屋国際ホテルで開催された県連の会合で配布された経歴書(<書証番号略>)があるのに、原判決がそのことを認定していないのは、被告人が口頭で経歴を述べたか否かに関連し、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実の誤認であるという。しかし、右経歴書は経歴欄が昭和四七年までのものしか記載のないものであって、これを県連の右会合において配布したとは考えられない。また、右経歴書は、昭和四七年までの経歴しか記載されていないのに、平成三年に出版された被告人の著書が記載されているなど、内容的にも不自然なものがあり、その存在自体に疑問がある。いずれにしても、所論の経歴書が存在するからといって、このことが被告人が口頭で前田に経歴を述べたことの結論を左右するものとは考えられず、原判決が右経歴書の存否につき判断していないことが、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認であるということはできない。

以上のとおり、前田の供述に変遷があり、そのすべてが信用できるものではないにしても、また、西川原証言やプロフィールを考慮に入れても、被告人の口頭による学歴伝達が全くなかったとする所論はいずれも採用することができず、原審の事実認定は相当というべきであって、論旨は理由がない。

(二) 虚偽の学歴が書かれた経歴書の確認

所論は、要するに、原判決は、平成三年八月下旬ころ、前田は、被告人を県連事務所へ呼び出し、第一の経歴書を見せ、内容の再確認をしてもらったが、被告人はこれに目を通したうえ、組合関係でも講演をしていることや、昭和六〇年前後に県の労働協会で依頼講師をしていたと述べたので、これを新たに経歴書に記載することにした。しかし、学歴の記載については被告人から何ら訂正の申し出がなかった。その後、前田は、県の労働協会に電話をして確認したうえ、第一の経歴書の昭和六〇年の欄などに加除をして、第二の経歴書を作成したと認定している。しかし、右認定は、原審における前田の供述に基づいてなされているところ、同人の右の点に関する供述は、原審公判になって初めてなされたものであり、客観的事実にも反しており、到底信用できないものである。従って、原判決の右認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、関係各証拠によれば、前記認定事実6のとおり、被告人は虚偽の学歴が書かれた第一の経歴書の再確認をしたうえ、その内容を是認し、その際、第一の経歴書の内容に、被告人の申し出た県の労働協会の依頼講師の件を、現職が県連副委員長になったことと共に書き加えるなど記載に加除訂正がなされ、第二の経歴書が作成された事実を十分に認定することができる。

所論は、県の労働協会が被告人に講師を依頼したのは、昭和五八年の一度だけであり、前田が協会に確認したのは疑問であるというが、所論指摘のように労働協会が被告人に講師を依頼したのは昭和五八年だけであるとしても、その事実と、被告人が自己の記憶に基づきその時期を昭和六〇年前後と述べたことや、前田が労働協会に被告人が同協会の依頼講師をしたことがあるか否かについて確認した事実とは矛盾するものではなく、論旨は理由がない。

(三) 報道関係者に対する経歴書配布の状況

所論は、要するに、原判決は、平成三年八月三一日、被告人の参議院議員選挙への出馬を表明する記者会見がなされた際、前田によって、被告人の経歴書(第三の経歴書のゲラ刷りのコピー、<書証番号略>と同内容のもの)が、手渡されたり、予め記者席の各パイプ椅子の上に置かれる等の方法で、十数名の報道関係者に配布され、被告人の前に置かれた長机の上にも右経歴書が置かれており、被告人は、それをその場で見ていたから、読んだ筈である旨認定している。しかし、被告人は、事前に、経歴書配布について打合わせや話し合いをしたことがなく、経歴書に目を通し自己の学歴の記載を確認したことも、前田に経歴書を配布させたこともないのであるから、原判決の右認定は判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、関係各証拠によれば、前記認定事実9のとおり、前田により被告人の経歴書が配布され、被告人もこれに目を通していたことを十分に認定することができる。所論は、被告人はこれを見ていないといい、被告人及び原審証人西川原は原審においてこれに添う供述をしているが、当日の出席者である大川、前田の原審及び捜査段階における各供述に加え、被告人も捜査段階において、経歴書が置かれた位置を図示したうえ、私もその場で経歴書に目を通したところ、その内容はおおむね前田君に口頭で説明したとおりであった旨、具体的かつ詳細に述べているのであって、これらの各供述は十分に信用することができ、これに反する原審における右被告人らの各供述は信用することができず、所論は理由がない。

また、所論は、原判決が、前田の配布した経歴書は第三の経歴書のゲラ刷りのコピー(<書証番号略>と同内容の経歴書)であったと曖昧に認定し、これが民社党が作成した<書証番号略>そのものであると明確に認定しなかったのは、審理不尽ないし判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、という。

しかし、原判決は、<書証番号略>そのものと認定してはいないが<書証番号略>と同内容の経歴書と認定しており、かつ、第三の経歴書には(ゲラ刷りのコピーも)、<書証番号略>と全く同じ学歴等の記載がなされているのであるから、いずれにしても虚偽事項として学歴を公表したこと及びその内容は明確となっているのであって、この点につき、原判決に、審理不尽ないし判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認があるとはいえない。なお、前田は、原審において、記者会見の際配布したのは第二の経歴書であったように証言しており、その点は誤りというべきであるが、それによっても、前田証言の全体に疑問を抱くべきことにはならない。

所論はいずれも採用できず、論旨は理由がない。

(四) 間接正犯としての虚偽学歴公表、選挙公報の掲載文提出

所論は、要するに、原判決は、被告人が、①選挙において自己の学歴が選挙公報などにより広く公表されるものと認識したうえで、平成三年七月下旬ころ虚偽の学歴を前田に述べ、同年八月下旬ころ、第一の経歴書記載の学歴について訂正の申し出をせず是認し、②同年八月三一日、情を知らない前田をして、同人が被告人の前記虚言に基づいて作成した「昭和三〇年明治大学中退」との虚偽の学歴が記載されている「経歴書」と題する文書を配布させ、③平成四年七月八日、情を知らない前田をして、同人が被告人の虚言に基づいて作成した「昭和二八年明治大学(政経学部)入学」と虚偽の学歴が記載されている選挙公報の掲載文を提出させたものと、それぞれ認定している。しかし、選挙に関して被告人は素人同然であり、本件選挙につき、被告人の県連内部における地位は操り人形のようなものであって、選挙に精通している県連の前田らの指示に基づき行動しただけに過ぎない。すなわち、①については、被告人が前田に学歴を述べたとしても、被告人の述べる学歴が前田の行為によって選挙公報などの文書に掲載され公表されることまでは認識しておらず、②については、経歴書配布について、前田らと事前の打合わせや話し合いをしたことがなく、当時、被告人は経歴書に目を通し自己の学歴が記載されているのを確認しておらず、前田に虚偽の学歴記載の経歴書を配布させたことはなく、③については、選挙の公示に当たって、選挙に精通している前田の独断専行により作成した選挙公報の掲載文を同人が選挙管理委員会に提出したものであって、民社党関係者から被告人が選挙公報やその掲載手順について説明を受けたこともなく、被告人が、特定の選挙公報の掲載文を認識し、その掲載の手順の概要を知り、自己の手足として前田に掲載文を作成提出させたという事実は存在しない。よって、原判決の右①ないし③の各認定は、判決に影響を及ぼすことが明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、前記認定の各事実を総合すると、被告人は、県連の推挙を受けて、本件選挙に民社党公認候補として立候補することを決意し、自らの当選を目的として、自らの選挙運動、立候補に伴う諸手続、必要な事務等を、県連が組織として行う選挙活動を利用して行う意図で、県連やその職員前田の指示に従い、また、選挙活動や立候補に必要な事務を前田らに行わせていたことが明らかである。本件選挙運動、立候補の主体は、あくまでも被告人であり、前田は、被告人が述べるままに、その学歴が真実であると誤信し、県連職員として、被告人のために選挙運動、立候補に伴う諸手続、必要な事務等を行っていたものである。被告人は、立候補内定後の平成三年七月下旬ころ、事情を知らない前田に対し虚偽の学歴を述べたが、これがその後作成される選挙用パンフレットや立候補手続に伴い当然予定される選挙公報などの文書にそのまま掲載され、公表されることを十分に理解していたこと、さらに、県連執行委員会において、被告人を民社党公認候補として擁立することが決定された後、公表の予定される経歴書の重要さにかんがみ、その記載内容について正確を期するため再確認まで求められ、これを是認していること、これらの点もまた証拠上明らかに認められるところである。以上のことからして、①被告人は、虚偽であることの事情を知らない前田に、自分が虚偽の学歴を述べれば、選挙において、選挙公報などにより広く公表されることを認識しながら、虚偽の学歴を前田に述べたものと認定することができ、②また、同年八月三一日、被告人が立会っている記者会見の会場で、前田が虚偽の学歴が記載されている経歴書を配布したことは、被告人が、事情を知らない前田に自己の立候補表明の手段としてこれを配布させたものと評価、認定することができる。③さらに、平成四年七月八日、情を知らない前田が選挙管理委員会に、同人が被告人の虚言に基づいて作成した「昭和二八年四月明治大学政経学部入学」との学歴が記載されている選挙公報の掲載文原稿を被告人に代わって提出し(なお、右記載のうち政経学部については、前記認定事実10のとおり、平成三年一〇月ころ前田が新間事務所から聞き、その後の選挙用の文書に書き加えたものであるが、被告人から当初聞いた学歴の記載と同一性の範囲内にあるものと認められ、被告人の意思に基づく記載と評価することができる。)たことは、自己の立候補届け出手続に伴い、被告人が、前田の予定された行為を利用して、同人に選挙公報掲載文原稿を作成提出させたものと評価、認定することができる。従って、以上と同旨の認定をした原判決に、所論指摘のような事実誤認はない。

所論は、選挙に関して被告人は素人同然であり、本件選挙においても被告人の地位は操り人形のようなもので、選挙に精通する県連の前田らの指示に基づき行動したに過ぎないというが、所論指摘のようにみられる面があったとしても、被告人が本件選挙運動や立候補の主体であることに変わりはなく、被告人は自己の当選のために、県連組織を利用し、選挙に精通する県連職員らの行為を利用して、予定されていた選挙運動、立候補に伴い、それぞれ虚偽事実公表の各実行行為に及んだというべきものであって、所論は理由がない。

以上のとおり、学歴公表についての被告人の関与及び認識に関して、原判決の事実認定に誤りはなく、所論はいずれも採用することができず、論旨は理由がない。

四  スイス留学が虚偽であることの認識

所論は、要するに、原判決は、原判示第二の事実に関し、被告人にスイス留学の事実に関し、被告人にスイス留学の事実が認められず、本件演説をした被告人には虚偽性の認識に欠けるところはないと認定しているが、被告人がスイス留学の話をしたときは、激しい選挙戦の終盤であり、精神的、肉体的疲労の極限状態にあったもので、また、右の話をした演説会は一般聴衆を相手とするものではなく、聴衆のほとんどが民社党支持者であった内輪の集まりであったので、いわば景気づけのためにした話に過ぎない。このような話について、被告人に虚偽経歴公表の認識があったと認定したのは、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認である、というのである。

しかし、記録を調査し、当審における事実審理の結果をも加えて検討すると、当時、被告人は、自分の演説内容が認識できないほどの精神的、肉体的疲労の極限状態にあったとは認めることができず、被告人が、「中学生当時、公費の海外留学生に選ばれ、スイスで半年間ボランティアの勉強をした」という自ら実際に体験していない事実を選挙演説として述べたものである以上、その際、多少の精神的、肉体的疲労があり、聴衆のほとんどが民社党支持者であったからといって、被告人に、自分が述べていることが虚偽であるとの認識がなかったとは、決して認めることができない。原判決に事実誤認はなく、論旨は理由がない。

第三  控訴趣意中、法令適用の誤りの主張について

一  間接正犯の成否

所論は、要するに、直接手を下さない場合であっても、間接正犯としての責任を負うためには、犯罪者自身の意思により、他人を自分の手足のように利用し、その行動から生ずる様々な事態を自分の思いのままに操作することが認められなければならず、情を知らない者を利用する場合の従来の判決例を見ても、被利用者を積極的に誤信せしめ、それをことさら利用しようとする利用者の態度とか、利用者の誘致行為と被利用者の行為との極めて密接な関係が必要と考えられているところ、原判決は、右のような積極的欺岡行為があったのではない本件について、利用者と被利用者との関係では、概括的行為支配性があれば足り、選挙運動が組織的に行われる特殊性から、その組織に関わることで十分であるとして、原判示第一の虚偽事項公表を被告人による間接正犯としての犯行であるとしているが、このことは間接正犯の要件を厳格に要求しようとする判例の態度に反し、間接正犯の成立を不当に拡大する誤った解釈をしたものであり、右原判決の法令適用の誤りは、判決に影響を及ぼすことが明らかである、というのである。

しかし、すでに前記第二の三の(四)において認定したとおり、被告人は、本件選挙運動、立候補の主体として、自らの当選を目的として、自らの選挙運動、立候補手続に伴う選挙公報掲載申請等を、県連が組織として行う選挙活動を利用して行う意図で、県連やその職員前田らの指示に従い、また、選挙活動や立候補に必要な事務を前田らに行わせていたものであり、被告人が述べた学歴が虚偽であるとの事情を知らず、それが真実であると誤信している前田を、いわば被告人の手足あるいは道具として利用する形態で本件各犯行を行ったものというべきである。右のように被告人の選挙活動が全面的に県連の組織活動、直接的にはその組織の一員である前田を利用するものであったことに加え、前記認定のとおり、被告人は、自己の述べる学歴などが以後作成される選挙運動の選挙用パンフレットや翌年七月に行われる選挙において予定される選挙公報などの文書にそのまま掲載され公表されることを十分に認識したうえ、被告人の立候補が内定した平成三年七月下旬ころ、前田に対し虚偽の学歴を述べ、さらに、県連執行委員会において民社党公認候補として擁立するとの機関決定もなされていた同年八月下旬ころ、経歴書の学歴などの記載内容について再確認を求められた際に、虚偽の学歴について訂正を申し立てず是認し、同年八月三一日、被告人が立会っている記者会見の会場で、自己の立候補表明の手段として、前田に虚偽の学歴の記載されている「経歴書」と題する文書を配布させ、平成四年七月八日、自己の立候補届出に際し、前田に選挙管理委員会に対して、同人が被告人の虚言に基づいて作成した虚偽の学歴が記載されている選挙公報の掲載文原稿を提出させたことが認められるのであるから、被告人は間接正犯として、前田の予定された行為を利用し、実行行為をなし、本件第一の各犯行に及んだものとみることができる。右前田の原稿提出に伴う選挙管理委員会係員の選挙公報掲載、配布も被告人の認識、予見した事情の範囲を超えるものではない。原判決は、結論において右と同様の判断に立ち、被告人が間接正犯の形態で本件第一の各犯行を行ったものと認定、判断しているのであり、その判断は正当であって、これについて法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

二  公職選挙法二三五条一項の「当選を得る目的」

所論は、目的犯における目的は、主観的違法要素として厳格な判断が要求される事項であり、公職選挙法二三五条一項の「当選を得る目的」についても、確定的認識ないし結果発生の意欲を必要とするものと解すべきであって、しかも直接的具体的な「当選を得る目的」が必要と考えられる。しかるに、原判決が、犯罪事実第一につき「当選を得る目的」は未必的認識・認容で足りるとし、「自己の経歴が選挙のために広く使われ公表される」ことの認識で十分であるとしているのは、同条項の解釈を誤ったものであり、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、前記認定のとおり、本件選挙に立候補を決意した被告人は、自己の明治大学入学、中退という虚偽の学歴をパンフレット、選挙公報などによって広く公表されることを認識しながら県連の前田に述べ、さらに、それによって作成された経歴書の記載内容について再確認を求められた際学歴について訂正の申し立てをしないで、原判示犯罪事実第一の一、二の虚偽事項を公表する行為に及んでいるのであって、その際、これによって、選挙に際し、選挙人から有利な評価を得て、より多くの得票をし当選を得ようという積極的、確定的な目的を有していたことが、明らかである。原判決が、虚偽事項公表罪における当選を得る目的は未必的に認識認容することで足りるとしたのは、公職選挙法二三五条一項の「当選を得る目的」は、行為者の支配の及ばない選挙人の行為を介してのみ実現すべき結果の発生を目的の対象としているのであって、結果発生の認識は未必的とならざるを得ない面のあることを述べたものと解されるのであるが、原判決が認定した事実関係のもとにおいて、原判示犯罪事実の第一について、被告人に「当選を得る目的」があったものと認定した原判決の結論は正当というべきであるから、原判決に、判決の結論に影響を及ぼすことの明らかな法令の解釈適用の誤りはなく、論旨は理由がない。

三  スイス留学が公職選挙法二三五条一項の「経歴」に当たるか

所論は、当選人につき、公職選挙法二三五条一項所定の罪が成立すれば、同法二五一条により当選人の当選が無効となるという厳しい制裁が予定されているのであるから、右罪の成立のためには、それに対応する重大な規範違反がなければならず、本条項における「経歴」とは、①過去の行動等その者が経験した事項の中で、特に公定性のあるものであり、②選挙人の投票行動に影響を及ぼす高度の危険性のあるもの、をいうと解すべきである。「スイスに留学してボランティアの勉強をした」ということだけでは、選挙民がそれによって公正な投票行動を妨げられる危険性は少なく、本条における「経歴」には当たらないというべきであるのに、原判決は、これをもって同条項所定の「経歴」に当たると解したのであり、右は法令の解釈適用の誤りであって、これが判決に影響を及ぼすことは明らかである、というのである。

しかしながら、公職選挙法の右規定の趣旨は、選挙に当たって選挙人が誰に投票すべきかを公正に判断し得るためには、候補者について正しい判断資料が提供されることが必要であり、もし候補者について虚偽の資料が提供されるならば、選挙人の正しい判断を誤らせる危険が大きいことから、その虚偽の資料提供を防止しようというものであって、そのような趣旨からすれば、同法二三五条一項所定の「経歴」とは、公職の候補者又は候補者になろうとする者の行動や事績などその者が過去に経験した事項であって、選挙人の投票に関する公正な判断に影響を及ぼす可能性のあるものをいうと解すべきである。原判決が認定した被告人が「中学生当時、公費の海外留学生に選ばれ、スイスで半年間ボランティアの勉強をした」ということは、それ自体、極めて異例の経験であり、高い社会的評価を受ける候補者の行動歴、体験というべきもので、福祉政策の重視を訴える候補者である被告人の実績、能力などを有権者に強く印象づけるものであり、選挙人の公正な判断に影響を及ぼす可能性があることは明らかな事項であるから、原判決がこれをもって同条項所定の「経歴」に当たると解し、被告人の原判示第二の事実に同条項を適用したのは、まことに相当である。この点につき、原判決に所論のような法令の解釈適用の誤りはない。所論の掲げる同条項の「経歴」の解釈は独自の見解であって採用できず、論旨は理由がない。

四  公職選挙法二五三条の二の違憲性

所論は、要するに、真実発見のために十分な証拠調べを求める権利を有する刑事被告人が、たまたま、事案が公職選挙法二五三条の二第一項に当たるというだけで、他の刑事被告人と区別され、真相の究明を第二義的に取扱われ、短期間内に判決を受けなければならないことには、合理的な根拠を見出すことはできない。百日以内に判決をするため、もっぱら事案の迅速処理を重視し、真実の発見という刑事訴訟の精神をおろそかにすることは許されない。従って、同法の右規定は、法の下に平等な取扱を受ける権利を保障した憲法一四条、証拠に基づく真実の発見という公平な裁判を期待する憲法三七条一項、真実発見のために十分な証拠調べの機会を保障する同条二項の各規定に違反する、というのである。

しかし、公職選挙法二五三条の二のいわゆる百日裁判の規定は、同法による選挙の当選人が、自らその選挙に関し同条所定の罪を犯し刑に処せられたときなどの当選人の当選無効制度を実効あらしめるため、訴訟の迅速処理を図ろうとする趣旨のものであり、合理的な根拠のあるものであって、これが憲法一四条一項、三七条一項、二項に違反しないことは、原判決が引用する最高裁判所判決(昭和三六年六月二八日、刑集一五巻六号一〇一五頁)の判示するとおりである。公職選挙法の右規定が、右憲法の各条項に反するとの所論は、独自の見解であって、採用の限りではない。

また、所論は、本件が極めて複雑難解な事件であるのに、原裁判所は、公職選挙法二五三条の二の規定を盾にし、不当に過密な期日指定と不公平で強引な訴訟指揮により百日以内に判決をするため、事案の迅速処理に没頭し、証拠調べも十分なさず、真実の発見という刑事訴訟の精神を無視して原判決に及んだのであり、このような原裁判所の本件事件処理も憲法一四条、三七条一項、二項に違反する、というのである。

しかし、記録を検討すると、原審は一五回に及ぶ公判期日における審理を重ね、当事者双方の主張、立証を尽くさせたうえで判決をしているものと認められるのであって、公職選挙法二五三条の二の規定の趣旨、原裁判所の審理の経過からしても、原裁判所が、真実の発見という刑事訴訟の精神を無視した不当に過密な期日指定や不公平で強引な訴訟指揮をしたものとは認められず、原裁判所の本件の審理が憲法一四条一項、三七条一項、二項に違反するものとはいえない。

所論(法令適用の誤りとして主張されているが、実質は原審の訴訟手続の法令違反をいうものと理解される。)は、いずれも採用できず、論旨は理由がない。

第四  控訴趣意中、訴訟手続の法令違反の主張について

一  各証人の証言や被告人の公判供述の信用性について

所論は、訴訟手続の法令違反の主張一ないし三として、前田の捜査段階及び原審公判廷での「被告人が前田に口頭で経歴を述べた」との供述は信用できないこと、被告人の「前田に口頭で経歴を述べたことはない」とする公判供述は信用性があること、プロフィールを県連に送ったことなどについての西川原証言も信用性が肯定されること、以上の三点につき種々詳論したうえ、原判決が、右のうち前田供述を措信できるものとし、被告人の公判供述ならびに西川原証言の信用性を否定したのは、訴訟手続の法令違反である、とする。

しかしながら、個々の証人や被告人の供述に関する信用性の評価については、原審がどのように評価したにしても、それが直ちに訴訟手続の法令違反に当たるということはできないのであって、通常は、その評価を基にした事実認定の当否を争うことができるだけにすぎない。本件についてみても、所論の指摘する各証人の証言や被告人の公判供述等に関する原判決の判断に訴訟手続の法令違反があるとは決して考えられない。また、「被告人が前田に口頭で経歴を述べた」とする前田の捜査段階及び原審での供述は信用することができ、これに反する被告人の原審公判における供述が信用できないこと、同旨の原審認定に誤りがないことについては、前記第二の事実誤認の主張に対する判断において述べたとおりである。なお、原判決が、プロフィールのファックス送信に関する西川原証言をそのまま措信することはできないと判断している点は、関係各証拠に照らし是認できるところであるが、かりに、同証言のようなプロフィールのファックス送信の事実があったとしても、「被告人が前田に口頭で経歴を述べた」との事実認定を左右するものとはいえないのであって、この点に関する原審の認定に、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実誤認があるということはできない。

右のとおりであるから、所論はいずれも採用することができず、論旨は理由がない。

二  公訴権の濫用

所論は、要するに、いわゆるタレント候補であった被告人の学歴詐称問題がマスコミに大きく報道されたうえ、平成五年に入り、いわゆる金丸問題を機に検察批判が盛りあがったこともあり、検察としては、被告人をそのまま放置することが面子にかけてもできなくなり、従来の起訴基準を無視し、被告人を起訴し有罪とすることで、検察の威信を回復しようとの目的で、杜撰な捜査のまま、被告人を起訴したものである。このような意図で、被告人のみを不平等に扱う本件起訴は、公訴権の濫用にあたり、公訴棄却若しくは免訴の判決がなされるべきであったのに、不法に公訴を受理し、弁護側の公訴権濫用の主張を排して有罪の判決をした原判決には、判決に影響することが明らかな訴訟手続の法令違反がある、というのである。

しかしながら、被告人の本件各犯行は、参議院議員の選挙という国政に関する重要な選挙についてなされたものであって、その罪質、態様からして、決して軽微とはいえないものであり、本件記録を検討しても、検察官が、ことさら起訴基準を無視し、被告人のみを不平等に扱い、十分な証拠もなく、所論主張のような目的で公訴を提起したものとは認められず、本件公訴提起自体が職務犯罪を形成するなど特段の事情があり、公訴権の濫用にわたるものと解すべき場合に当たるとは到底認めることができない。従って、本件公訴の提起には特段の違法がなく、これを適法なものとして受理し、実体判決をした原判決には、訴訟手続の法令違反は認められず、論旨は理由がない。

以上の次第であって、論旨はいずれも理由がないので、刑訴法三九六条により本件控訴を棄却することにし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官千葉裕 裁判官松村恒 裁判官川原誠)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例